風たちぬ、いざ生きめやも。
早朝に目覚め寝直すことができず、スマホで『風立ちぬ』を読み返しました。
長編アニメーション映画「風立ちぬ」でもお馴染みのタイトルです。
もちろんアニメ映画と小説『風立ちぬ』の内容は異なりますが …
ポール・ヴァレリーの詩の一節「風立ちぬ、いざ生きめやも(Le vent se lève, il faut tenter de vivre.)」から生まれたインスピレーションはそれらの作品によって結実し重要なテーマを届けてくれます。
堀辰雄、宮崎駿がより強く感じただろう「風立ちぬ、いざ生きめやも」。
私ごときも時々この「風立ちぬ、いざ生きめやも」によって感受したいことがあるのです。
寄す処を求めるように。
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コロナ禍に侵略戦争 … この二つの大事で目の前が遮られているからこそ、どうやって行こうか。思案する。でも分からない。
寄付や募金をするわけでもなくデモ行進に加わるわけでもなく、具体的な行動など何ひとつ起こすことなく、呆然としている。
結果、早暁の早読みではただ悲しくなるばかりでした。
日曜の朝には板子一枚下は地獄のような恐怖が …
考えすぎでもなんでもない。
私たち、今は戦時です。
協調して核武装とか威勢のいいことを言い放つ政治家や政治勢力があります。
それを垂れ流すマスコミも有効に機能しています。
だから「戦時」が収まりません。
だから常に心配。
戦時は様々なことが誤魔化され反故にされ多くの無辜の民が疲弊します。
今日も突風が吹きつけます。
去ってもまたすぐに。
武器なんていらない。
考えて、考えて、闘っていくだけです。
べそを隠して。
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