家宗を思う
「家」という語を持ち出すときは慎重にならざるを得ないのですが … 前置きはこの一行として …
私の「家」の家宗とは『浄土真宗』なのだろうか?というお話です。
父方の家宗は『浄土真宗』でした。
実家にはそういう仏壇があります。
母方の家宗は『浄土宗』でした。
ただし、現在は『浄土真宗』に変更しています。
家人の実家の家宗も『浄土真宗』です。
やはり実家にはそういう仏壇があります。
しかし、私の「家」での家宗の実態とはお葬式や納骨、命日や日々のお勤めで『浄土真宗』を用いている・お世話になっているだけで、およそ『浄土真宗』らしくありません。
ただ「自由度」という点においては通底する部分がありますが …
昨年義母が亡くなったので喪中はがきを出しましたし、自宅には所帯を構えたときから神棚もあります。
本来喪中も忌中もなく神棚も祀らない『浄土真宗』の常道からは完全に逸脱しています。
それでもこれからもお葬式を営むことになれば『浄土真宗』を選択せざるを得ないはずです。
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毎朝、父の遺影・義母の遺影の前で南無阿弥陀仏を唱える。
『浄土真宗』を用いているつもりではなく、南無阿弥陀仏と唱えないとその日が始まらない気がしてならないからです。
その程度で今は御免させてもらっています。
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