もったいない
この記事を読み返して感じることは「もったいない」の一語に尽きます。
具体的に何をどうしたい(どうしようとしている)のか。
「GIGAスクール」構想はその点が完全にぼけてしまっている。
正確に理解し賛同している国民はほぼ存在していないと思われます。
なのに国は大規模な予算執行をしてしまう …
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「おとなは何を教えてくれる存在なのか。」
いっときは疑問を呈する子どもたちもこんなことだからやがては諦めてしまうのでしょう。
疑うことを忌避する性質がいつの間にか身についてしまいます。
パソコンは「疑うこと」を学ぶのには良い道具だと私は考えています。
そもそもネットに繋がらないとか。
壊れているパソコンなのか。まだ使えそうなのか。
ひとつひとついちいち「疑うこと」ができます。
正常に起動しているはずのパソコンが突然動かなくなる。
つまりそのことと社会の現状を置き換えて思考したりもできる。
何事もなく無事でいられる状況をどのように創り出していかなければならないのか。
おとなの役目のひとつは「生きていく手段」を子どもたちに教えていくことだと思ってきたのですが …
そうじゃないのかなぁ …
かつてよりも事物が揃っているというのに、なんとも「もったいない」。
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